KYUHO KAKIMOTO
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千字文とはその名のとおり、1000文字からなる韻文。
学書の手本としてつくられた 「千文字に一字の重複もない 韻文」の成り立ちから
読み方 その意味など、少しずつご紹介します。
書の学習と文字を覚えるためにつくられた 千字からなる韻文。漢(かん)以来、学書の手本として急就篇(きゅうしゅうへん)があったが、それに代わるものとして生まれた。
千字文の作者については異説が多い。
(1)鍾繇(しょうよう)説
梁(りょう)の武帝(ぶてい)の命により、周興嗣(しゅうこうし)が石碑に刻された鍾繇の筆跡を集めて千字の韻文に仕上げたもの。
(2)王羲之(おうぎし)説
梁の武帝のとき、周興嗣が王羲之の字を集めて次韻してつくったという。
その他
(3)漢の章帝(しょうてい)説
(4)梁の武帝説
(5)蕭子雲(しょうしうん)説 など
現行の千字文の成立については、梁の武帝が王子らに書を習わせる手本として、殷鉄石(いんてつせき)に命じて日頃愛好する王羲之の筆跡の中から千字の模本をつくらせ、周興嗣に次韻させたものとされている。それは一字の重複もなく、四言で一対二句の整然とした韻文である。
千字文の内容は、文中に引用された故事成語の出典をみると、四書五経や歴史書、また魏(ぎ)・晋(しん)以来の詩文、道家の著録などから幅広く採られている。
『古事記』によれば、千字文が日本へ伝来したのは、応神(おうじん)天皇の十六年、百済(くだら)の王仁(わに)が来朝、『論語』十巻と『千字文』一巻を献上したとある。しかし応神天皇が在位していた四世紀後半は、千字文成立時期よりも前であり、伝来時期を繰り下げることについては、本居宣長(もとおり のりなが)も指摘し、今日では常識となっている。
天平勝宝(てんぴょうしょうほう)八年(七五六)六月二一日の『東大寺献物帳』には、「書法二十巻」があり、第一一番に「同義之書巻第五十一、真草千字文、二百三行」とある。ここにいう羲之の書とは双鉤塡墨本(そうこうてんぼくぼん)である。また近年奈良の平城宮遺跡から、千字文の字句を書いた木簡の断簡が出土した。それらには持統(じとう)天皇八年(六九四)、和銅(わどう)三年(七一〇)、養老七年(七二三)などの紀年が認められる。これらの出土品から千字文の伝来は聖武帝以前であることがわかる。
書家はかならず一度は千字文を書いたようで、初学の入門書というより、書を学ぶ者のバイブルと言えよう。
一の一(1~18)
天地玄黃 宇宙洪荒
日月盈昃 辰宿列張
寒來暑往 秋收冬藏
閏餘成歲 律呂調陽
雲騰致雨 露結為霜
金生麗水 玉出崑岡
劍號巨闕 珠稱夜光
菓珍李柰 菜重芥薑
海鹹河淡 鱗潛羽翔
一の二(19~36)
龍師火帝 鳥官人皇
始制文字 乃服衣裳
推位讓國 有虞陶唐
弔民伐罪 周發殷湯
坐朝問道 垂拱平章
愛育黎首 臣伏戎羌
遐邇壹體 率賓歸王
鳴鳳在樹 白駒食場
化被草木 賴及萬方
一の三(37~50)
蓋此身髮 四大五常
恭惟鞠養 豈敢毀傷
女慕貞絜 男效才良
知過必改 得能莫忘
罔談彼短 靡恃己長
信使可覆 器欲難量
墨悲絲染 詩讚羔羊
二の一(51~68)
景行維賢 克念作聖
德建名立 形端表正
空谷傳聲 虛堂習聽
禍因惡積 福緣善慶
尺璧非寶 寸陰是競
資父事君 曰嚴與敬
孝當竭力 忠則盡命
臨深履薄 夙興溫凊
似蘭斯馨 如松之盛
二の二(69~80)
川流不息 淵澄取映
容止若思 言辭安定
篤初誠美 慎終宜令
榮業所基 籍甚無竟
學優登仕 攝職從政
存以甘棠 去而益詠
三の一(81~102)
樂殊貴賤 禮別尊卑
上和下睦 夫唱婦隨
外受傅訓 入奉母儀
諸姑伯叔 猶子比兒
孔懷兄弟 同氣連枝
交友投分 切磨箴規
仁慈隱惻 造次弗離
節義廉退 顛沛匪虧
性靜情逸 心動神疲
守真志滿 逐物意移
堅持雅操 好爵自縻
四の一(103~122)
都邑華夏 東西二京
背邙面洛 浮渭據涇
宮殿盤鬱 樓觀飛驚
圖寫禽獸 畫綵仙靈
丙舍傍啟 甲帳對楹
肆筵設席 鼓瑟吹笙
升階納陛 弁轉疑星
右通廣內 左達承明
既集墳典 亦聚羣英
杜稾鍾隸 漆書壁經
四の二(123~142)
府羅將相 路俠槐卿
戶封八縣 家給千兵
高冠陪輦 驅轂振纓
世祿侈富 車駕肥輕
策功茂實 勒碑刻銘
磻溪伊尹 佐時阿衡
奄宅曲阜 微旦孰營
桓公匡合 濟弱扶傾
綺迴漢惠 說感武丁
俊乂密勿 多士寔寧
四の三(143~162)
晉楚更霸 趙魏困橫
假途滅虢 踐土會盟
何遵約法 韓弊煩刑
起翦頗牧 用軍最精
宣威沙漠 馳譽丹青
九州禹跡 百郡秦并
嶽宗恆岱 禪主云亭
雁門紫塞 雞田赤城
昆池碣石 鉅野洞庭
曠遠緜邈 巖岫杳冥
五の一(163~182)
治本於農 務茲稼穡
俶載南畝 我藝黍稷
稅熟貢新 勸賞黜陟
孟軻敦素 史魚秉直
庶幾中庸 勞謙謹敕
聆音察理 鑑貌辨色
貽厥嘉猷 勉其祗植
省躬譏誡 寵增抗極
殆辱近恥 林皋幸即
兩疏見機 解組誰逼
六の一(183~196)
索居閑處 沈默寂寥
求古尋論 散慮逍遙
欣奏累遣 慼謝歡招
渠荷的歷 園莽抽條
枇杷晚翠 梧桐早凋
陳根委翳 落葉飄颻
遊鵾獨運 凌摩絳霄
七の一(197~216)
耽讀翫市 寓目囊箱
易輶攸畏 屬耳垣墻
具膳飡飯 適口充腸
飽飫烹宰 飢厭糟糠
親戚故舊 老少異糧
妾御績紡 侍巾帷房
紈扇圓潔 銀燭煒煌
晝眠夕寐 藍笋象床
絃歌酒讌 接盃舉觴
矯手頓足 悅豫且康
七の二(217~228)
嫡後嗣續 祭祀烝嘗
稽顙再拜 悚懼恐惶
牋牒簡要 顧答審詳
骸垢想浴 執熱願涼
驢騾犢特 駭躍超驤
誅斬賊盜 捕獲叛亡
八の一(229~250)
布射遼丸 嵇琴阮嘯
恬筆倫紙 鈞巧任釣
釋紛利俗 並皆佳妙
毛施淑姿 工顰妍笑
年矢每催 曦暉朗耀
璇璣懸斡 晦魄環照
指薪修祜 永綏吉劭
矩步引領 俯仰廊廟
束帶矜莊 徘徊瞻眺
孤陋寡聞 愚蒙等誚
謂語助者 焉哉乎也
天地玄黄(てんちげんこう)
宇宙洪荒(うちゅうこうこう)
天地玄黄 宇宙洪荒
てんちげんこう うちゅうこうこう
天は玄(くろ)く地は黄色
宇宙は広く広大無辺
日月盈昃 (じつげつえいしょく)
辰宿列張(しんしゅくれっちょう)
日月盈昃 辰宿列張
じつげつえいしょく しんしゅくれっちょう
日月のぼり傾き欠ける
星や星座が並び広がる
寒来暑往 (かんらいしょおう)
秋收冬蔵(しゅうしゅうとうぞう)
寒來暑往 秋收冬藏
かんらいしょおう しゅうしゅうとうぞう
寒さが来れば暑さは去る
秋に穫り入れ冬に蓄える
閏餘成歲 (じゅんよせいさい)
律呂調陽(りつりょちょうよう)
閏餘成歲 律呂調陽
じゅんよせいさい りつりょちょうよう
あまりの年は閏年(うるうどし)とし
調子笛吹き 日月ただす
雲騰致雨 (うんとうちう)
露結為霜(ろけついそう)
雲騰致雨 露結為霜
うんとうちう ろけついそう
雲が起これば雨をもたらし
露が凍れば霜柱立つ
金生麗水 (きんせいれいすい)
玉出崑岡(ぎょくしゅつこんこう)
金生麗水 玉出崑岡
きんせいれいすい ぎょくしゅつこんこう
金を産すは麗水の岸
玉を出すのは崑崙の山
剣号巨闕 (けんごうきょけつ)
珠稱夜光(しゅしょうやこう)
劍號巨闕 珠稱夜光
けんごうきょけつ しゅしょうやこう
剣は巨闕天下一品
珠は夜光が至上最高
菓珍李柰(かちんりだい)
菜重芥薑(さいちょうかいきょう)
菓珍李柰 菜重芥薑
かちんりだい さいちょうかいきょう
珍重果実は李(すもも)と柰(からなし)
重宝野菜は芥(からしな)と薑(はじかみ)
海鹹河淡(かいかんかたん)
鱗潛羽翔(りんせんうしょう)
海鹹河淡 鱗潛羽翔
かいかんかたん りんせんうしょう
海は塩水河は淡水
魚は潜り鳥は羽ばたく